冷静な悪あがき

タイトルに戒めを込めつつ、日々を記録。

シロップのラストライブについて

それにしても、絶望的に時期を逸してるよな、これ。

――しょうがないだろ。こればっかりは適当なこと書けないもん。書きたいことはいっぱいあるんだけども、一通りの作文にしようとしたら考え込んじゃうんだよ。

まぁな。武道館に行く途中の地下鉄で既に泣いてたもんな、お前。

――途中に乗った半蔵門線でウンコもらしそうになって、三越前駅か何かで降りて、おのぼりさんだから必死でトイレ探してんだけど、その間も泣いてんだよ。もう、明らかに挙動不審じゃん。

ははは。

――まぁもらしてたらライブ行けなかっただろうし、あのライブのチケット持ってて、当日に東京まで来て、ウンコもらして行けなかった、ってならなくて良かったよ。

そろそろちゃんとシロップの話しろよ。

――・・・すまん。

何回くらいライブいったんだっけ?武道館含めて。

――『coup d'Etat』出てから関西に来た時は大概行ったつもりなんだけど・・・HP見返してみるとそうでもないか。心斎橋のBIG CATと、クアトロと、"End Roll"の時。"End Roll"はなんばhatchだったかな。微妙に憶えてない。けど、今思い出せる限りで4回ってことか。

いかにも不吉なタイトルのライブがある、って友人に聞いて、慌ててチケット取ったんだよな。

――うん。

"End Roll"観終わった後は、「解散なわけない!」って思ったんだけども。

――あの「リアル」の絶唱やられたらねぇ。武道館ライブのDVDのボーナスディスク、あの絶唱が観たくて時々かけるわ。でもそれより前にすごい憶えてるのはクアトロのときだよ。

なんで?

――『coup d'Etat』で自分にも他人にもあんだけ悪態ついて、間髪入れずに『Delayed』ですごい落ち込んで、『Hell-See』で「曲なんていくらでもある」って見せつけて、さらに『Mouth to Mouse』出してた時期。どんだけアルバム出すんだ、って思ってるところに、ライブ行ったら聴いたことない曲どんどん出すわけ。で、「知らない曲だ、何歌ってんだ?」と思ったら、「バナナの皮」だったのね。

そうだったね。

――その時、こっちにとってすごく都合のいいストーリーを思い描いたんだよ。『coup d'Etat』を作った人が、それを延々聴いてしまう人たちに向けて、そんな状態で生きちゃってる人たちに向けて、何とか生き延びるための音楽を、これからやってくれるんだ、って思っちゃった。

都合いいなぁ。

――話として出来すぎてるとは思いながらも、そう信じ込んでた。だから"End Roll"って言われてもピンとこなくて、「解散なわけない」と思ったんだよ。

その後友人が東京で観て、解散らしい、って分かったんだけど。

――うん。

で、武道館か。

――いやもう…そもそも入る前から泣いてるわけで…。ライブの出来が云々というより、シロップの最期は観ないわけにいかない、ってことだけ。チケット取れてよかった。

武道館も、毎度ながらロックバンドのライブとしては異様だよな。みんなどこまでも聞き入っててさ。

――確かに異様だけど、じゃあシロップの激しい曲聴きながら最前列でワイワイできるかって言われると、できないからねぇ。ああなるもんでしょ。身につまされながら踊る、って難しいと思うけど。

ダイナソーJRだったらいい歳こいて最前列まで行くくせに。

――それくらいは…いいじゃん。

それにしても、「何を歌ってんのか」だけに自然に目が行くバンドってシロップだけだわ。ある程度音楽好きになってから、どっちかっていうと詞よりも音に注意が行ってたと思うんだけど、シロップだけは違ったね。音のほうは、「どうでもいい」っていうのは言い過ぎだけどそれに近くて。いちいち言葉選びにグッときてたよ。

――”一生懸命くだらないこと 思ってたんでしょ 喋ってたんでしょ”(「向日葵」)

・・・。もう、自分もいい歳食ってさ、「こんな気持ちでまだ生きてること自体、罪なんじゃないか」って思わされることは多々あってね。

[続く]

[2014/03/17 02:20]

 

某棋戦の話

2. 出場ソフトのプログラム状態

電王戦への出場権を獲得したプログラムは、ドワンゴ社主催の「将棋電王トーナメント」出場時のプログラム状態にて出場する。

ただし棋譜を利用した自動学習は可とし(カワンゴ談)、バグ修正は不可。

使用するOSのプラットフォームは制限なし。

(前回は直前まで開発者側がアップデート・バグ修正を自由に加えられた。)

 

レギュレーションを守っての対局が可能(提出されたソフトは主催者側が持ってるはず)なんだから、そうすればよかったのでは?その時点のソフトでも充分強いんだから。

戸田山和久、『哲学入門』。

戸田山さんのはどうしても野矢さんのより分厚くなっちゃうのね。(笑)

 

取っ掛かりとしては『哲学の謎』をやっぱり支持するけど、自然主義を話のはじめからここまでプッシュした哲学入門(”~~の哲学入門”ではなく)ってあんまりないし、その点は素直にうれしい。??なところはおいおい。

[2014/03/12 23:26]

 

田島正樹さんがブログで、戸田山和久、『哲学入門』 (以下、『戸田山本』)にえらく噛みついている。

戸田山本が「軽薄だ」「無教養だ」と田島が糾弾していることについてだが、

この点について戸田山は恐らく

「自分の新書書き方戦略の趣味・長所・短所」として織り込み済みだろう。

自然主義者の各種理論を数々持ちこみつつ

(これは自然主義的哲学者が哲学入門書を書くときの重たい制約だが)、

カントの緻密な読みすらもちりばめる・・・ということはもう、

やろうとも思わなかったんだと思う。

哲学史のめんどくさい話を経ずに問題に入っていく傾向のある

大森荘蔵以降の論者の中で、

田島は哲学史の面白い語り方を新書にまとめてさえいるから、

戸田山の方針が気に食わんと思うのも無理はない。)

で、大森の強い影響下にある人々が共有している考えに「反自然主義」がある。

反自然主義者から見たとき、

戸田山本は「成功するはずのない理論を不細工に並べただけのもの」に映るだろう。

特に田島は、『スピノザという暗号』で、

言語についての反自然主義を強烈に主張していて、

印象深かったと同時に猛烈に反発を抱いた覚えがある。

われわれが日々言葉を使っていること、

このことは日常的な事実として私も認めるが、

「意図はすでに言語を前提せざるを得ないのだ」(ララビアータ、2014年04月25日)

と田島が胸を張って主張するときの

「言語を前提する」とは、正確に言うとどういうことなのか?

私にはこれが分からない。

これが分からないことは分析哲学から逸脱することなのか?

[2014/05/29 21:34]