戸田山和久、『哲学入門』。
戸田山さんのはどうしても野矢さんのより分厚くなっちゃうのね。(笑)
取っ掛かりとしては『哲学の謎』をやっぱり支持するけど、自然主義を話のはじめからここまでプッシュした哲学入門(”~~の哲学入門”ではなく)ってあんまりないし、その点は素直にうれしい。??なところはおいおい。
[2014/03/12 23:26]
田島正樹さんがブログで、戸田山和久、『哲学入門』 (以下、『戸田山本』)にえらく噛みついている。
戸田山本が「軽薄だ」「無教養だ」と田島が糾弾していることについてだが、
この点について戸田山は恐らく
「自分の新書書き方戦略の趣味・長所・短所」として織り込み済みだろう。
自然主義者の各種理論を数々持ちこみつつ
(これは自然主義的哲学者が哲学入門書を書くときの重たい制約だが)、
カントの緻密な読みすらもちりばめる・・・ということはもう、
やろうとも思わなかったんだと思う。
(哲学史のめんどくさい話を経ずに問題に入っていく傾向のある
大森荘蔵以降の論者の中で、
田島は哲学史の面白い語り方を新書にまとめてさえいるから、
戸田山の方針が気に食わんと思うのも無理はない。)
で、大森の強い影響下にある人々が共有している考えに「反自然主義」がある。
反自然主義者から見たとき、
戸田山本は「成功するはずのない理論を不細工に並べただけのもの」に映るだろう。
特に田島は、『スピノザという暗号』で、
言語についての反自然主義を強烈に主張していて、
印象深かったと同時に猛烈に反発を抱いた覚えがある。
われわれが日々言葉を使っていること、
このことは日常的な事実として私も認めるが、
「意図はすでに言語を前提せざるを得ないのだ」(ララビアータ、2014年04月25日)
と田島が胸を張って主張するときの
「言語を前提する」とは、正確に言うとどういうことなのか?
私にはこれが分からない。
これが分からないことは分析哲学から逸脱することなのか?
[2014/05/29 21:34]